義賊・運玉義留の誕生

沖縄の鼠小僧、運玉義留が誕生したのはどういういきさつだったのでしょうか。


義留が親方の元を去って間もなく、首里の御殿(大名屋敷)や、那覇の商家に盗賊がおし入り、神出鬼没で誰一人としてその姿を見たものはいませんでした。


そして、田舎の貧しい百姓の家に、金子が投げこまれることが続きました。


そのうわさが村々にひろがりました。


これはもちろん義留のやったことでした。


義留は運玉森という丘にこもって、捕り手の役人の目をくらましました。


或る日、運玉森に男の子がはいりこんできました。


義留はこの小僧の様子をじっくりながめていました。


小僧はいっしょうけんめい誰かを捜している風でした。


「おい小僧!」


と、義留が後から呼びました。


すると小僧ははっと後の声の方向に振り返りました。


小僧は利口そうな目をくるりと向けて、


「運玉義留ですね」


「そうだ、小僧何の用か」


「ああ、よかった。義留兄、おれを弟分にしてくれ」


「盗人の弟分にか」


「お願いします」


・・・と、ひたいを地面にすりつけました。


「小僧、弟分になるなら試してみるが、よいか」


「何でもやります」


「それでは、金を持たないで、油を買ってこい」


という言葉を聞いて、小僧はすぐに走って那覇の街に下りて行きました。


それから二時間もたったでしょうか、小僧は徳利を下げてもどってきました。


「どうだ!」


と義留の顔の前に徳利をつきつけました。


そして徳利から、黄色くしみた綿をとり出して、茶碗の上に綿をぎゅっとしぼりました。


綿には油がたっぷり吸いこまれていました。


小僧は、油屋で油を徳利に入れさせてから、何のかんのと文句を言って、もう買わないとごねて、油がめに移させます。


油はすでに綿に吸い取られているので、小僧はしめたと、舌打ちして、次々油屋を同じように廻ってきたというわけです。


義留は、こざかしい小僧だと感心もし、舌を巻きました。


「よし弟分になれ」ということで、油を吸い取ったので「油喰坊王」と呼ぶようになりました。


沖縄ツアーなどで沖縄に行けばわかりますが、沖縄にはこうした面白い物語がたくさんあるのです。


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